【院長 宮下のこれまでと今】

在宅療養支援診療所HOME CARE CLINIC N-CONCEPT 院長の宮下直洋 です。

先日北海道大学病院血液内科のHPにて「私のON/OFF」というテーマで寄稿させていただきました。

私のこれまでの生い立ちや今の仕事のことなど書いておりますが、自分自身のことを知っていただきよりよい連携、ひいては地域貢献につなげていければとの思いで、その内容を再編集した上で当院HPにも掲載させていただきます。

長文となりますが、皆様お時間あるときに気楽な気持ちでお読みいただけたら幸いです。


■ 医師になるまで

 1984年に東京都品川区で生まれ9ヵ月を過ごしたのち、千葉県成田市に引っ越し18歳まで成田市で生活を送りました。親族に医療関係者はおりませんで、私の父はひとりで町工場をやっておりました。主に電車のパンタグラフ(電車の屋根についている菱形のやつです)の発注を受けておりましたが、自身のことを発明家と呼び人工雪を降らせる人工降雪機をつくって盤渓スキー場に売り込みに行ったことがあるそうです。北海道は想像以上に寒く、人工降雪機はピクリとも動かず結果としてまったく売れなかったそうですが、まったく悲壮感はなくなんだか楽しそうに話していたことを覚えています。その頃から私の中で知らず知らずのうちに北海道という地への思いが刷り込まれていたのかもしれません。

 小学3年生の頃にJリーグが開幕しサッカーに熱中しており将来はJリーガーにとの思いもありましたが、母が多発性骨髄腫(血液のがんのひとつ)を罹患したことをきっかけに血液内科医を志すようになりました。医師になるにはどうやらたくさん勉強をしなければならないようだと知り、江戸川学園取手中学・高等学校に進学しました。あまり言いたくないですが、その中学受験では補欠合格でした。そんな私に何を思ったのか中学1年生のときの担任の先生が、面談の際に「キミには期待している」という言葉をかけてくださり、それ以降中高6年間はただただガリ勉でした。その言葉は発破をかける意図だったのか、何かを感じ取ってのことだったのかわかりませんが、「言葉」というのは大きな力を持っているのだなと強く感じました。大学の同級生や社会人になってから出会った方々にはあまりガリ勉のイメージは持たれないかもしれませんが、皆さんが知っている私は大学デビュー後の私ですので(笑)、そういう時代もあったのです。私が15歳のとき、母は50歳で他界しました。私は万人を助けたいなんて大そうな考えはなくただ母を苦しめる病気を治したい、という思いだけだったので、母が他界して以降はしばらく医師を目指すことはなくなりました。動物も好きだったので獣医の道にでも進もうかなと漠然と思っていた時期があったと記憶しています。ただ、母の病気を治してあげられなかったなという思いはずっと引っかかっており、医師を目指そうと思ったきっかけをくれた母に報いたいと改めて医師を目指すようになりました。

 大学進学にあたっては自分がどこに住んでみたいかという観点で札幌か京都での生活を思い描くようになりました。社会科の地図帳を眺めていて碁盤の目のかたちをした街に興味があったんですね。私自身は関西に決して悪いイメージはありませんが、当時神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)などセンセーショナルな事件もあり、父としてはその2択であれば北海道に行ってほしかったようです。そんなこんなで北海道大学医学部(85期)に入学しました。前述の通りいわゆる大学デビューと言いますか、大学入学後はやってみたいことをやり、行ってみたいところに行くという日々を送り、とても楽しい6年間でした。いろいろやる中で、ストリートダンスを学祭でたまたま見たことをきっかけにダンスにのめりこみました。その頃はまだまだストリートダンスってやんちゃなイメージを持たれていましたが、今では学校の授業でもダンスがありますし、子どもの習い事としても人気があり、ストリートダンスの1ジャンルであるブレイクダンスはオリンピック競技にまでなりました。その文化としての広がり方、変化も見ていておもしろかったですね。大学を卒業して14年ほど経ちます、皆さん私に会っても踊ってとは決して言わないでください。

■ 医師になってから

 医師になるというよりは血液内科医になりたくて医学部に入ったわけですが、3年目以降は一生血液内科医をやっていくという頭でいたので、初期研修は血液内科以外のいろいろな分野の疾患について数を多く経験したい、とりあえず何が来ても対応できる度胸をつけたい、そんな思いから北海道で一番救急車が来る病院で研修しようと札幌東徳洲会病院で2年間を過ごさせていただきました。研修医がホットライン(救急隊からの直通電話)を持つのですが、鳴りすぎて何度投げ捨てようと思ったかわかりません(笑)。決して出来のいい研修医ではありませんでしたが、多くのことを経験させていただき、振り返ると今につながる知識・手技を得られた本当にいい2年間だったと思います。今の時代必ずしも若いうちに苦しい時間を過ごすことが是とはされないように感じますが、個人的にはがむしゃらにやる期間だったり苦しむ期間っていうのも必要なのかなと思っています。

 初期研修後は市立函館病院、札幌厚生病院で諸先生方に血液内科医としてのご指導をいただき、以降北海道大学病院にて多くの先生方のご指導を賜り、たくさんの患者さん、ご家族の方に出会いました。北海道大学病院勤務時代は臨床面で多くの先生と一緒に働かせていただきながら、大学院生として小野澤真弘先生に研究のご指導をいただきました。小野澤先生がアメリカ留学から戻られ最初にご指導いただいた大学院生となりますので一番弟子です。周囲からは小野澤先生と宮下の組み合わせはキャラクター的にミスマッチと言われがちでしたが、私も元ガリ勉ですので根っこではつながっていたと思います。小野澤先生から教えていただいた知識、技術ももちろんなのですが、そのスタンスとして目の前の患者さんから生じた疑問や課題、それをもとに臨床研究や基礎研究を行い、学会発表につなげる、さらには学会発表したものはすべて論文にする、それがより多くの患者さんのためになる、そういった思考に、「医師として人の役に立つっていうのはこういうことだな」と感銘を受けました。北海道大学病院を出たあとも、その教えをもとに目の前に患者さんに全力で向き合いつつクリニックからもエビデンスを出す、それを目標に、在宅医として2020年、2022年にEHA(ヨーロッパ血液学会)での発表を行い、2022年に勇美記念財団の研究助成を拝受することができました。現在はその発表内容について論文投稿中です。

 北海道大学病院で6年間過ごさせていただいたのち、在宅医療の道に進みました。研究生活をしていた期間は自分にとって患者さんたちを少し客観的に外から見る期間でもあったように思います。その中で、病状や合併症で厳しい状況の患者さんにとって、治療をすることの利益としないことの利益、しないとしたらその方はその先どこでどういう人生を歩むのか、そういえば固形癌って家で過ごす人もけっこういるよな、血液疾患の場合は…といったことを考えたりしていました。血液疾患の方が家で過ごすとなった場合、疾患にもよりますが輸血依存や免疫不全、あるいは血液疾患自体が障壁で、病院の医師としての目線ではなかなか在宅医療を担う先生方のスムーズな連携が難しいのが実情だったと思います。そのような障壁を取り払って、血液疾患を抱える方にもより広い選択肢が提供できればと、血液内科医として在宅医療へ関わることへの思いが強くなっていきました。外勤を行っていた小樽協会病院の外来で診させていただいていた80代の骨髄異形成症候群の方、そこには血液内科常勤医がいませんでしたのでアザシチジンを外来で施行することは病院の機能として困難でした。毎月1週間入院するかたちでの対応をしていましたが、ということはアザシチジン投与を続ける限り残りの人生の25%の時間は病院で過ごすわけで、これを家でできれば時間の使ってもらい方も変わるのでは、そういった部分でも在宅医療は役立てられるのではとも思いました。また、北大病院で診させていただいていた北見の患者さん、造血幹細胞移植後再発で地元の病院に戻りその後亡くなられました。北見赤十字病院に出張に行っていたこともあり、その方が亡くなられたあとご家族に会えないかと思いお電話でお話をしました。結果としては会いに行くというところには至りませんでしたが、その頃から患者さんが亡くなられたあとのご家族のサポートという部分にも興味というか、意識が向くようになりました。グリーフケアという部分になるかと思います。私自身が思春期に親をがんで亡くした経験もあり、同じような境遇の子のサポートには特に意識が強くいきます。現在は生活に踏み込んで医療を行うかたちで、病院勤務の頃以上に患者さん・ご家族と密な関わりとなっており、グリーフケアについても学びチームで関わってその先を生きていくサポートに取り組んでいます。

 誤解があってはいけないのですが、何でもかんでも治療をやめて在宅へとは全く思っておりません。血液内科医、急性期の医師をやめたつもりはなく今でも治せるものは治したいと思っていますし、それは病院での治療もあるでしょうし在宅で積極的治療をすることもあります。あくまで選択肢を増やしたい、そういった思いから在宅血液診療にも対応する在宅医として2020年7月に在宅療養支援診療所HOME CARE CLINIC N-CONCEPTを立ち上げ、在宅輸血や在宅化学療法といった取り組みを始めました。N-CONCEPTのNは、New、Novel、Next(新しい、次世代の)という意味と私の名前のNaohiroのNの意味です。豊嶋教授はじめ北海道大学病院の先生方におかれましては北海道大学病院退職前に相談に乗っていただき、送り出していただき、今もつながりをもってくださっていることに本当に感謝しています。当初は開業したいなんていう思いはまったくなかったのですが、就職した在宅クリニックで医療と呼ぶにはあまりにも私の目指すものとは程遠い現場を見ました。もちろん熱い思いをもってレベルの高い在宅医療を提供されている先生方も札幌にはたくさんいます。ただ、そんなひどい医療(医療とも呼べないか…)がまかり通ってしまっているのも札幌の現状として事実です。それを見て、自分でやる・変える、という思いが生まれ開業に至った経緯があります。若いうちはがむしゃらな時期があってもいいのではと書きましたが、今が医者人生で一番がむしゃらかもしれません。まだまだ若輩者ですので引き続き皆様のご指導を賜りながら成長していきたいと思っております。当院には看護師、事務スタッフもおりますが、医師は私ひとりで24時間365日対応しており、そんな生活を始めて2年5か月が経ちます。まわりからはその働き方を不憫がられたりもしますが当の本人は苦痛は感じておらず夜中のコールでもなんでも人に頼られることにやりがいを感じています。そんな様子からスタッフからは「バケモノ」と呼ばれていましたが、最近は眠いとかすぐ言うので「ニンゲン」と呼ばれるようになってしまいました。「バケモノ」に返り咲けるようにがんばってまいります。


■ 私のON/OFF

 24時間営業でお送りしているので基本的にはずっとONです(笑)。とはいえ趣味がないわけではありません。ボルダリング(壁を登るやつです)、登山、スケートボード(スケボー)、DIY、JRタワーの展望台が好きですね。ちょっとした時間で、ひとりで、少ない道具で、パッとできるものを好む傾向があります。ボルダリングが一番長くやっていて力を注いできたもので、大会にも出ていました。クリニックのHPにある自分の経歴にちゃっかり大会成績も載せていますのでもしよろしければ覗いてみてください。最近はボルダリングをする時間もだいぶ減ってしまいましたが、登っていなくてもオブザベーション(壁を見てどう登るか考える作業)だけでも楽しく、街を歩いて建物を見ているだけでも、どう登ってやろうかと考えながら楽しめています。登山はもともとひとりでやっていたものの、最近はクマもこわいのでスタッフを巻き込んでみんなで早朝に登ってから業務についたりしています。今はコールが来たらすぐ下山し患者さんのもとへ駆け付けられるよう登る山は藻岩山(531m)の高さまでと自分の中で決めていますが、本当のOFFの時間ができたらもっと大きな山に登ってみたいです。愛読書は登山の先輩からいただいた「はじめてのさっぽろ山ガール」です。山ガールの紹介ではなく、札幌の山を紹介している本です。

  あまり私生活が見えないと度々言われますが、子どもが3人おります。長女は医者になりたいと言っています。決して私に憧れているわけではないようですが、医者っていい仕事だと思っていますしなんだか少しうれしい気持ちでいます。長男はマインクラフトが好きで建築士になりたいと言っており、私自身もDIYなどものづくりが好きなのですごく楽しみな目標です。どんなおもしろい建物をつくってくれますかね。次男は車が好きで消防「車」になりたいとのこと、きっと消防「車」になれるよ!って伝えています。目標は何でもいいのですが目標があるということ自体が素敵なことだと思いますし、応援していけたらと思っています。


■さいごに

 開業してから業務のこともあり、新型コロナウイルス流行のこともあり、なかなか皆さんにお会いする機会も減った日々となっていると感じています。好き勝手書かせていただきましたが、私のことを少し知っていただき今後もよい連携をさせていただけますとうれしく思います。今後とも皆様よろしくお願いいたします。


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札幌市で訪問診療・在宅医療を行うクリニック。

内科、血液内科、がん診療、緩和ケア。

「HOME CARE CLINIC N-CONCEPT」

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N-CONCEPT

2020年7月1日 開院! 札幌市で在宅診療を行うクリニックです。 おうちに帰りたい、をサポートします。 TEL 080-8049-0177 (代表) FAX 050-3588-2920 e-mail nconcept.sapporo@gmail.com 〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目6-13

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